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萩焼 九世坂高麗左衛門造 暦手茶碗(共箱)

萩焼 九世坂高麗左衛門造 暦手茶碗(共箱) SALE!!
商品番号:7005561
価格:  04月27日~05月07日まで 35%OFF
18,200円
(税込 20,020円)

28,000円
(税込 30,800円)
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  萩焼 九世坂高麗左衛門造 暦手茶碗(共箱)
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
本体(口径/最大) 11 cm 4.6 cm 7.4 cm      
本体(口径/最小) 10 cm          
木箱に経年汚れがあります。
本体には問題はなく、状態は大変良いです。


※検索一覧と詳細ページにおいて、色の見え方が異なることがございます。
お進み頂いた詳細ページの商品の色が、より実物に近い色でございます。予めご理解ください。
タグ
産地・種類 萩焼
作家・窯元 坂高麗左衛門

詳細
状態 非常によい
素材 陶器
萩焼(はぎやき)  山口県萩市。  萩焼は高麗焼とも呼ばれ、1604年に毛利輝元の招きで萩藩に召し抱えられた李勺光・李敬兄弟により高麗焼の技を用いて藩の御用焼として開窯されたもの。以来藩主の庇護のもと発展し多く愛好されるようになった。  独特の柔らかな風合いと変転極まりない窯変が特徴で、表面の細かなヒビから水分が浸透し、器の中から表面にまで至るため使いこむほどに器の色合いが徐々に変化する「萩の七化け」の面白さは他に類を見ない。  古来より茶人の間では「一楽 二萩 三唐津」と賞賛され広く珍重されている。

坂高麗左衛門 (さか こうらいざえもん)  萩焼陶芸家。山口県萩市、坂窯の当主が代々襲名している陶芸作家としての名跡。 ・初代 坂高麗左衛門(李敬)(1586〜1643)  毛利輝元によって文禄・慶長の役の際に渡来して、兄・李勺光と共に萩焼を創始した朝鮮人陶工・李敬が萩城下松本村に窯を開く。 二代藩主毛利綱広より“高麗左衛門”の名を賜り、坂高麗左衛門と名乗った。三輪休雪の三輪窯と共に萩藩の御用窯を務め、萩焼の本流を代々受け継次ぐ。 ・二代 坂助八(1617〜1668)  初代高麗左衛門の子、坂助八と称した。寛文8年死去。52歳。 ・三代 坂新兵衛(1648〜1729) ・四代 坂新兵衛(1683〜1748) ・五代 坂助八(1722~1769) ・六代 坂新兵衛(1739~1803) ・七代  坂助八(1774~1824) ・八代 坂新兵衛(1796~1877)  名は忠陶。通称は新兵衛。号は翫土斎(がんどさい)、松翁。  1829年、萩藩主毛利斉元(なりもと)の命により大坂に行き、京都の有栖川宮に製陶技術を披露。明治10年3月13日死去。82歳。 ・九代 坂高麗左衛門(1849~1921)  8代坂高麗左衛門の孫。名は道輔(みちすけ)。 号は韓峯、韓岳。  1877年、9代坂高麗左衛門を襲名。1915年に大正天皇御大典記念京都博覧会の出品作品が宮内省買い上げとなる。  明治維新の変革期に青年時代を過ごし、廃藩置県で御用窯が廃止となり、坂家も独立自営を強いられる厳しい状況のもと、各地の内国博覧会に出品して坂家の名声を高めた。近代萩焼を代表する名工。  大正10年8月17日死去。73歳。 ・十代 坂高麗左衛門(1890~1958)  坂高麗左衛門の次男。本名は秀輔、号は韓峰。  早世した兄にかわり、父の没に伴い1921年に坂家10代を襲名。父のもとで陶技を学び、大正博覧会に出品した「ガマ仙人置物」が宮内省買上げとなる。襲名後も積極的に展覧会へ出品し、多数の献上品、買い上げ品を制作。1943年に萩焼工芸技術保存者に認定された。 ・十一代 坂高麗左衛門  林利作の三男として山口県に生まれる。本名は信夫、号は韓峯。  帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)卒業後、山口県立大津中学校で美術講師として勤務する。  1948年に10代高麗左衛門の次女と結婚し、義父に師事。1958年、11代坂高麗左衛門を襲名。1975年には山口県指定無形文化財に認定された。日本工芸会正会員。  1981年死去、享年68。 ・十二代 坂高麗左衛門(1949〜2004)  1949年 東京生まれ。  1976年 東京芸術大学絵画科日本画専攻卒業後、同大学大学院絵画科研究室を修了。1982年 に11代坂高麗左衛門の息女、坂素子と結婚し、坂家の養子となる。結婚後、京都工業試験場窯業科で陶技を学び、1987年に12代坂高麗左衛門を襲名。  坂家伝来の萩焼に日本画の絵付けを施して、萩焼界に新たな風を吹き込んだ。 2004年7月26日、転落事故による脳挫傷のため死去。享年54。 ・十三代 坂高麗左衛門(1952〜2014)  11代の四女。本名は純子。  武蔵野美術大学造形学部で日本画を専攻し、卒業後萩市内の高校で非常勤講師を務める。1991年から義兄である12代の下で絵付けのアシスタントを務める。十二代高麗左衛門が転落事故で没してから約7年後の2011年に13代坂高麗左衛門を襲名し、坂家で初の女性当主となる。日本画の絵付けを用いた女性らしい表現力で茶わんや皿、湯飲み、杯などを手がけ、独自のスタイルを追求する。  しかしながら、2014年11月18日、肺炎のため死去。享年62才。