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十一代飛来一閑造 漆塗丸卓(共箱)

十一代飛来一閑造 漆塗丸卓(共箱)
商品番号:6449642
価格:  32,000円
(税込 35,200円)


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  十一代飛来一閑造 漆塗丸卓(共箱)
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
    39 cm 34.2 cm 31.8 cm  
全体にスレがあり、ところどころに漆剥げがあります。
木箱が経年のため劣化しており、蓋に紙の貼り跡があります。
その他には問題はなく、まだまだ使用可能な状態です。


※検索一覧と詳細ページにおいて、色の見え方が異なることがございます。
お進み頂いた詳細ページの商品の色が、より実物に近い色でございます。予めご理解ください。
タグ
千家・十職 飛来一閑

詳細
状態 よい
素材 木・漆
飛来一閑  千家十職、一閑張細工師。 ●初代 一閑 1578~1657  中国明代の人で寛永年間(1624~1644)に来朝帰化して京都に住し、飛来を姓とし飯後軒、朝雪斎、金剛山人、蝶々子と号した。  一閑張を創始し千宗旦が愛用したことから世に知られた。晩年は大徳寺の清巌宗謂に帰依し、また書画をよくした。  以後代々一閑を名乗り、一閑張の技法を伝えた。 ●二代 一閑 ?~1683  通称は才右衛門。近江(滋賀)安土で育ったがその事績は詳らかではない。  剃髪後一閑を名乗り以後それが歴代の慣わしとなった。  二代一閑には姉のゆきがおり堂上に仕官する岸田喜右衛門に嫁いだ。喜右衛門は京の烏丸付近で一閑張を職としこれを岸一閑という。 ●三代 一閑 ?~1715  二代一閑の子。祖父初代一閑の伝書を携えて叔母のゆきを頼り、ゆきから一閑張細工を伝承され一閑張を再興した。 ●四代 一閑 ?~1733  四代より表千家の出入りとなり六代碌々斎の御用に従ったと伝えられる。 ●五代 一閑 ?~1741  通称は才右衛門。  「茶器名物図爲」に表千家七代如心斎の愛護を受けて、羽箒、円座などを製したと伝える。 ●六代 一閑 ?~1746 ●七代 一閑 ?~1750  六代一閑の子、通称才右衛門。早世したと伝えられる。 ●八代 一閑 ?~1753  六代一閑の子で七代一閑の弟。  兄の早世に伴って家督を継いだものの八代も早世した。 ●九代 一閑 ?~1788  六代一閑の女婿。宝暦八年(1758)に現在の出水通油小路に移住した。  天明の大火に遭い、約四ヶ月後に亡くなった。 ●十代 一閑 ?~1830  九代一閑の子。通称才右衛門。十代以後才右衛門を通称とすることが慣わしとなった。 ●十一代 一閑 1791~1872  幼名は弥太郎、才次郎、また花丸一閑・ウリ一閑と俗称された。別号の有隣斎から有隣一閑とも称され、初代以来の名工の名を得た。  初代一閑の二百年忌に籠地四方盆を二百枚つくっている。 ●十二代 一閑 1822~1897  十一代一閑の次男、幼名才二郎。  兄の早世に伴って家督を継いだ。 ●十三代 一閑 1859~1913  十一代一閑の早世した長男の子。明治二十八年(1895)に叔父の十二代一閑から家督を継いだが、大正二年剃髪をしないまま生涯を終えた。  有水と号し俳句に長じた。 ●十四代 一閑 1894~1977  十三代一閑の長男、幼名は駒太郎。  二人の実子が戦死したため、のち十五代一閑を養子に迎えた。 ●十五代 一閑 1926~1981  三十五歳で飛来家に養子に入り昭和五十二年に十五代を継承、四年後に五十六歳で亡くなった。 ●十六代 一閑 1963~  十五代一閑の長女、名は里美。  平成十年に十六代一閑を襲名した。