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武者小路千家十三代有隣斎筆 「梅花帯月一枝新」一行書 肉筆紙本掛軸(共箱)

武者小路千家十三代有隣斎筆 「梅花帯月一枝新」一行書 肉筆紙本掛軸(共箱) SALE!!
商品番号:6003308
価格:  04月27日~05月07日まで 35%OFF
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  武者小路千家十三代有隣斎筆 「梅花帯月一枝新」一行書 肉筆紙本掛軸(共箱)
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
全体       202 cm 37.2 cm  
本紙       125.5 cm 29.3 cm  
本紙・表具ともに、全体に薄いシミがあります。
また、軸先2点ともに漆浮きがあります。

その他には問題はなく、まだまだ使用可能な状態です。


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タグ
流派・宗家 武者小路千家十三代有隣斎
茶室 官休庵

詳細
状態 よい
素材 紙本
武者小路千家  千利休を祖とし、二代千少菴を経て三代千宗旦の次男一翁宗守からはじまる。官休庵ともいう。歴代の名乗りは宗守。 ● 四代 一翁宗守 1605~1675 塗師吉文字与三右衛門の養子になり甚右衛門と名乗っていたが、吉文字屋の 業を娘婿の中村宗哲に譲り千家に復した。  高松松平候に茶頭として仕えたが、辞して武者小路小川に官休庵を建てて武者小路千家を開いた。 ●五代 許由斎文叔 1658~1708  はじめ甚四郎、のち宗守と改める。四代一翁宗守の子。  一翁宗守に続いて高松松平候に仕えた。  古器の鑑識に長じたとされる。 ●六代 静々斎真伯 1693~1745  幼名は重治郎。五代許由斎の子。  筆蹟や好み物などから、才気、好芸の人で手作り茶碗も多い。また同家伝来の木守茶碗を自ら写し、本歌を高松松平候に献上した。  延享二年、五十三歳で亡くなる。 ●七代 直斎堅叟 1725~1782  幼名は久之丞、節翁・一方庵・弘道庵と号す。六代静々斎の養子となった。  好みの茶道具に名取河香合、源氏車香合などがある。安永元年(1772)火災により建物を焼失したが同三年の一翁百回忌を迎えるに当たって再建した。  またその際に邸内の一隅に一方庵、十五畳敷の広間弘道庵の両席が好まれた。 武者小路千家中興の祖とされる。  天明二年五十八歳で亡くなる。 ●八代 一啜斎休翁 1763~1838 川越兵庫頭の子、二十歳で七代直斎の養子となった。円明、渓澗、一方庵、 半宝庵、披雲庵と号した。  好みものが多く、ツボツボ棚、烏帽子棚、自在棚など新しい趣向の棚物がある。  天保九年七十六歳で亡くなる。 ● 九代 好々斎仁翁 1795~1835 はじめ宗什、玄室、宗屋といったが、のち八代一啜斎の婿養子となり、好々 斎と号した。裏千家九代不見斎の三男。  自作の茶杓や手作り茶碗も多く、楽焼以外に尾張の御深井などで志野風のものなどかなり多く残されている。  天保六年亡くなった。 ●十代 以心斎全道 1830~1891  表千家十代吸江斎の弟で六歳のときに九代好々斎の養子になり武者小路千家に入り宗守を継ぎ、全道と号した。  八歳で失明したため好々斎の未亡人宗栄が門下の木津宗詮の協力を得て家職を代行したが、引き続き表千家より養子を迎え次を継がせた。  以心斎は代を譲ったあと宗安と号した。  明治二十四年、六十二歳で亡くなる。 ●十一代 一指斎一叟 1848~1898  表千家十代吸江斎の次男、五歳のとき十代以心斎の養子になり、はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。  現在残されている祖堂(涛々軒)は一指斎の指図によるもの。達筆で七歳ごろの一行物が残っている。  明治三十一年五十一歳で亡くなる。 ●十二代 愈好斎聴松 1889~1953  久田宗悦(表千家十代吸江斎の三男)の次男。五歳のときに十一代一指斎の養子に入る。はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。一指斎が亡くなったあと門人の廣瀬露香、木津宗詮が家元を代行した。  東京帝国大学史学科を卒業後茶湯の世界にはじめて論理的な批判を加え新風を打ち立てた。大正十五年(1926)官休庵を改築、昭和十五年の利休三百五十年忌には、弘道庵を再建した。著述も多数ある。  昭和二十八年六十五歳没。 ●十三代 有隣斎徳翁 1912~1999  神戸の島屋に生まれ、十二代愈好斎の婿養子になった。はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。  京都帝国大学国史科卒業。昭和十六年に愈好斎の娘澄子と結婚、昭和二十八年に家督を継いだ。  千茶道文化学院の創設、財団法人官休庵の設立に尽くした。  平成元年に家督を譲り、宗安と号した。平成十一年八十六歳で亡くなる。 ●十四代 不徹斎宗守 1945~  十三代有隣斎の長男。はじめ方一、のち宗屋を名乗る。  慶應義塾大学卒業、昭和五十五年から海外で講演や茶会を催し茶道の紹介に尽くしている。  平成元年に十四代を継いだ。