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千家十職中村宗哲造 高台寺蒔絵棗(共箱) □kk

千家十職中村宗哲造 高台寺蒔絵棗(共箱) □kk
商品番号:4666970
価格:  65,000円
(税込 71,500円)


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  千家十職中村宗哲造 高台寺蒔絵棗(共箱) □kk
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
    7.2 cm   6.9 cm  
蓋の縁に割れがあります。
合わせ部分に擦れ傷があります。
木箱の底に紙が貼ってあります。
その他に問題はありません。

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お進み頂いた詳細ページの商品の色が、より実物に近い色でございます。予めご理解ください。
タグ
千家・十職 中村宗哲

詳細
状態
素材 木・漆


中村宗哲 千家十職、塗師。 ●初代 宗哲 1617~1695  通称は八左衛門、八兵衛。  表千家四代江岑、裏千家四代仙叟、武者小路千家四代一翁の好み物をつくり、藤村庸軒とも親しく交わり、その好みの凡鳥棗をつくっている。また茶杓の下削りにも優れ、宗旦、一翁、庸軒の下削り、漆拭きをしたと伝えられる。  以後代々宗哲を称して千家十職となった。 ●二代 宗哲 1671~1706  幼名は八兵衛、号は汲斎。  十一歳のとき仙叟の茶事に列し庸軒茶会の参事も知られる。作品は少ないが凡鳥棗・竹中次などが伝世する。 ●三代 宗哲 1700~1776  幼名は鍋千代、通称八兵衛。  七十歳の賀に七百の内として、棗・型物を十種つくったが、これは彭祖棗として有名で、彭祖宗哲の名を得た。  また、乱菊棗、夜桜棗なども知られ、歴代中最もその名が高い。 ●四代 宗哲 1728~1791  三代宗哲の婿養子。通称は八郎兵衛、名は為安。  武者小路千家七代直斎好み糸目懐石家具などがしられる。茶道具製作には豊田八郎兵衛の名の置名を用いている。 ●五代 宗哲 1764~1811  四代宗哲の婿養子。名は八兵衛、守一。豹斎と号し初代からの寸法帳、切型などを整備し、家譜を整えた。  裏千家十代認得斎好み蔦棗が知られる。 ●六代 宗哲 1792~1839  五代宗哲の長男。幼名は昌之助、元服後は八兵衛、為一。  文化八年(1811)に六代を継いだが四年後に家督を弟に譲り分家した。認得斎好み宝船棗などが知られる。 ●七代 宗哲 1798~1846  五代宗哲の次男。幼名は槌六、のち安一、八兵衛。黒牡丹などと号す。  裏千家十一代玄々斎の推挙により尾張徳川家から「得玄」の印を拝領した。認得斎好み夕顔中棗、玄々斎好み西山名所棗の連作などが知られる。  歴代中最も優れた作品を残した。 ●八代 宗哲 1828~1884  七代宗哲の長男。幼名は丑之助、のち八郎兵衛、忠一。到斎、蜂老と号し、また大徳寺大綱宗彦から聴雨の号を受けた。  表千家十一代碌々斎好み羽衣棗、曙棗、井伊宗観好み月次茶器が知られる。 ●九代 宗哲 1856~1911  八代宗哲の婿養子。名は喜三郎、義生。英斎と号す。  表千家十一代碌々斎好み溜ミル貝雪吹、同十二代惺斎好み後赤壁既望棗などが知られる。 ●十代 尼宗哲 1862~1926  八代宗哲の四女、九代宗哲の妻。  九代の没後長男哲太郎(一哲)が別居したため家業を継ぎ、大正の茶道隆盛期にあって千家好み物の大半を製作した。  惺斎好み物を多く手がけた。 ●十一代 宗哲 1899~1993  九代宗哲の次男。名は忠蔵、八郎兵衛。元斎と号す。  十六歳の大正三年(1914)から千家に出入りし、同十四年に家業を継いだ。  表千家では十二代惺斎好み醍醐枝垂桜大棗、十三代即中斎好み月次源氏茶杓、十四代而妙斎好みミル貝大棗、裏千家では十四代無限斎(淡々斎)好み祇園名所棗、十五代鵬雲斎好み若松台子、武者小路千家では十二代愈好斎好み雲錦炉縁、十三代有隣斎好み海賦棗が知られる。  京都府文化功労賞、茶道文化功労賞の表彰を受けた。 ● 十二代 宗哲 1932~2005 十一代宗哲の長女。名は弘子。京都市立美術大学卒業。  歴代の作品集をまとめ、昭和六十一年より千家に出仕。表千家十四代而妙斎好み秋草棗、三花炉縁、裏千家十五代鵬雲斎好み桐文台子、花鳥風月四季棗などがある。  京都府文化功労賞を受賞した。 ● 十三代 宗哲 1965〜 十二代宗哲の次女。名は公美。  平成十八年に十三代宗哲を襲名した。