送料無料

   

加藤作助造 織部香合(堀内家十二代兼中斎箱書)

加藤作助造 織部香合(堀内家十二代兼中斎箱書) SALE!!
商品番号:6955940
価格:  04月27日~05月07日まで 40%OFF
14,400円
(税込 15,840円)

24,000円
(税込 26,400円)
残り数量: 1


詳細写真(画像にカーソルをあわせていただくと拡大画面の写真が切り替わります)



閉じる
  加藤作助造 織部香合(堀内家十二代兼中斎箱書)
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
    6 cm 5.3 cm 5.1 cm  
状態は大変良いです。


※検索一覧と詳細ページにおいて、色の見え方が異なることがございます。
お進み頂いた詳細ページの商品の色が、より実物に近い色でございます。予めご理解ください。
タグ
流派・宗家 表千家堀内家十二代兼中斎
産地・種類 瀬戸焼志野焼織部焼
作家・窯元 加藤作助
茶室 長生庵

詳細
状態 非常によい
素材 陶器
瀬戸焼(せとやき)は、愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称。日本六古窯の一つ。瀬戸エリアで焼きものが作られ始めたのは古墳時代までさかのぼり、中世期に釉薬を施した陶器を生産していたのは瀬戸のみであった。    鎌倉時代に加藤四郎景正が、宋から施釉陶器技法を伝えたのが瀬戸焼の創始といわれ、灰釉・鉄釉を使った陶器生産が始まる。室町時代には日用品が多く作られていたが、桃山時代からは茶の湯の隆盛に伴って茶器が多く生産された。  鎌倉期の灰釉・鉄釉に加えて、 黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部・鉄赤の釉薬が用いられる。

加藤作助(かとう さくすけ)  陶芸家。愛知県瀬戸市。  初代加藤藤四郎景正の流れをくむ一門。  加藤藤四郎景正は貞応2年3月道元禅師について唐に渡り陶技を学んだ後、安貞2年に帰国し瀬戸に窯を築いた人物で、瀬戸焼の祖といわれる。後に景正10世仁三郎政高が室町末期の永正年間(1504〜1520)に赤津に分派して陶業を営み、近世の陶工、加藤唐三郎・加藤仁兵衛・加藤作助・加藤太兵衛の家祖となったとされる。  江戸時代後期に景正23世景清(のちの寿斎)が初代作助を名乗った。当代は5代目加藤作助。 ・初代 加藤作助(1808〜1893)  江戸後期〜明治時代の陶工。  文化5年、尾張(現在の愛知県)生まれ。名は景清、号は寿斎。  赤津窯分家加藤景元の7代を継ぎ、伝統を受け継いで茶器・酒器を作陶した。明治26年没、享年86歳。 ・二代 加藤作助(1844〜1923)  幕末-明治時代の陶工。  天保15年、初代加藤作助の子として生まれる。名は景義、号は春逸・春仙。  赤津窯分家加藤景元の8代を継ぎ、茶器・酒器を作陶。大正12年没、享年80歳。 ・三代 加藤作助  北大路魯山人とも親交が厚く、魯山人が足繁く窯を訪れた。 ・四代 加藤作助(1909〜)  昭和7年京都高等工芸学校陶磁科卒業後、京都陶磁器試験場で学ぶ。昭和10年の修了後、瀬戸に戻り父祖伝統の窯を継承。1983年、愛知県指定無形文化財陶芸(織部・黄瀬戸・御深井焼)の保持者として認定された。 ・五代 加藤作助(当代)(1940〜)    東京藝術大学彫刻科卒業ご瀬戸に帰郷し父と共に作陶する。1969年に日本伝統工芸展入選、以後数多くの入選・受賞を果たす。66年には東京芸術大学院美術研究科陶芸講座を修了し、68年より愛知県立芸術大学美術学部非常勤講師となり、92年には同大学教授(現:名誉教授)に就任。その他、日本工芸会理事、東海支部幹事長、瀬戸陶芸協会会長などをつとめる。  作陶活動に加え、愛知県立芸術大学の陶磁専攻科設立に携わり、定年まで教授として指導に携わり多くの陶芸家を育て上げた。  2002年には織部・黄瀬戸の愛知県無形文化財に認定され、2006年に5代加藤作助を襲名した。

織部焼(おりべやき)  織部焼は16世紀の終わりから17世紀の初めにかけて現在の岐阜県東濃地方で生まれた焼物で、美濃焼の一種。  千利休の弟子であった大名茶人・古田織部が好みの茶器を焼かせたのが始まりで、織部好みの斬新で奇抜な形や文様の茶器などが多く作られた。一般的に歪んで多角形のものが多く当時としてはとても奇抜な焼物であった。  成形には型が多く用いられ、色彩は黒、濃緑、赤などが多い。釉薬の色になどにより、織部黒または黒織部、青織部、赤織部、志野織部などに分類される。織部黒・黒織部は茶碗が殆どで、それ以外の織部は主に食器類が作られている。