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大樋焼 九代大樋長左衛門造 旭日蓋置(共箱)

大樋焼 九代大樋長左衛門造 旭日蓋置(共箱)
商品番号:6156930
価格:  30,000円
(税込 33,000円)


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  大樋焼 九代大樋長左衛門造 旭日蓋置(共箱)
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
    5.2 cm   5.1 cm  
状態は大変良いです。


※検索一覧と詳細ページにおいて、色の見え方が異なることがございます。
お進み頂いた詳細ページの商品の色が、より実物に近い色でございます。予めご理解ください。
タグ
産地・種類 大樋焼
作家・窯元 大樋長左衛門

詳細
状態 非常によい
素材 陶器
大樋焼(おおひやき) 楽焼の一種。寛文6年に陶工・土師長左衛門は前田綱吉に召されて京都より金沢に移り、金沢市大樋町で土器釜を築いた。原料の粘土を市郊外の春日山で採り、千宗室の考案によって茶器を製造したのが大樋焼の始まり。 質は楽焼に似ており、釉薬は橙黄の飴のようなもの、浅黄色のもの、白釉の上に鮮明な萌黄色で模様をつけた物もある。 大樋焼の製品は香合、抹茶器、置物などで茶人に愛好されている。

大樋長左衛門 (おおひ ちょうざえもん) 金沢市にある、江戸時代から続く、陶工・大樋長左衛門を初代とする大樋焼陶芸家。 ・初代大樋長左衛門(1631〜1712)  河内国生まれ。もとは土師長左衛門という名前だった。明暦2年、京都に移り楽家四代当主・一入に師事して楽焼を学ぶ。寛文6年(1666年)に加賀藩藩主・前田綱紀に茶堂として招かれた四代裏千家家元・千宗室に同行して加賀藩に赴き、金沢で大樋焼を始める。千宗室の帰京の際に金沢に残ることを許され、大樋村で藩の焼物御用を務めた。地名にちなんだ「大樋」姓とすることを認められた。力強く豪快な作風が特徴。 正徳2年死去、享年82歳 ・二代大樋長左衛門 (1686〜1747)  初代長左衛門の子。金沢生まれ。初代の作風に強く影響を受けたが、今日に伝えられている作品はきわめて少ない。 ・三代大樋長左衛門(1728~1802)  二代長左衛門の子。幼名勘兵衛。加賀藩八代藩主、十代藩主、11代藩主の御用達窯として勤める。享和2年没、享年75歳。 ・四代大樋長左衛門(1758~1839)  歴代の大樋家のなかで、初代に次ぐ名工といわれる。個性的な表現で品格のある作品を作った。大樋焼の特徴である飴釉だけでなく、多くの色を試みた。加賀藩12代藩主前田 斉泰の御用達窯。天保10年、82歳で逝去。 ・五代大樋長左衛門(1799~1856)  四代長左衛門の子。文政7年に父の隠居に伴い、5代目を襲名。 大樋焼の中興の祖といわれる。注文に応じて食器も焼き始め、徳利、皿、銘々皿などを残している。従来の飴釉に加え。黒釉もよく使用した。また、金沢の茶道文化の発展にも貢献した。 1856年58歳で死去。 ・六代大樋長左衛門(1829~1856)28歳  五代長左衛門の長男。幼名朔太郎。 注文に応じて食器や写しものも作陶した。加賀藩の御用も多い。1856年、5代長左衛門の死から4ヶ月後に28歳の若さで逝去した。 ・七代大樋長左衛門(1834~94) 61歳  五代長左衛門の三男、6代の弟。幼名道忠。幕末から明治への激動の時代で、加賀藩の保護を失った大樋焼は一時廃業となる。明治時代は茶会の減少に伴い注文も減る厳しい時代だったため、7代長左衛門の作品は小振りな物が多い。 ・八代大樋長左衛門(1851~1927)77歳  本名は奈良理吉。隠居後の名は以玄斎。 七代目の子たちは大樋家を継がなかったので、七代長左衛門の弟子でいとこの奈良理吉が大樋家を継承。伝統的な作風で多くの茶陶を作った。 明治27年(1894)、裏千家十三世円能斎より以玄斎の号を受けた。1927年死去、享年77歳。 ・九代大樋長左衛門(1901~86)  八代長左衛門の長男。 十五世裏千家鵬雲斎宗室より陶土斎の号を受ける。  昭和2年、八代目の没後九代目を襲名。中興の祖である五代勘兵衛に匹敵する名工といわれた。日本工芸会正会員。日本伝統工芸展で多数の入賞を果たす。また裏千家より淡々斎茶道文化賞を受賞、1977年には裏千家15世家元より陶土斎の号を送られた。 昭和61年(1986)歿、84才。 ・十代大樋長左衛門(1927〜)  九代長左衛門の長男。 1927年、東京美術学校(現・東京芸術大学)工芸科卒業。日展などで多くの賞を得、1987年に十代大樋長左衛門襲名。天皇家に茶碗を献上するほか、伊勢神宮、薬師寺、永平寺、東大寺に茶碗を奉納している。 2004年の文化功労賞をはじめ、2005年に金沢名誉市民、2011年には文化勲章を受賞している。2008年には金沢学院大学副学長と日展顧問に就任している。 著作多数。現在、美術工芸界唯一の存命の文化勲章受章者である。