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十四代坂倉新兵衛筆 「彩鳳舞丹霄」 肉筆紙本掛軸

十四代坂倉新兵衛筆 「彩鳳舞丹霄」 肉筆紙本掛軸
商品番号:6085362
価格:  15,000円
(税込 16,500円)
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  十四代坂倉新兵衛筆 「彩鳳舞丹霄」 肉筆紙本掛軸
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
全体       134 cm 66.8 cm  
本紙       43 cm 58.6 cm  
本紙と表具に巻き跡による折れがあります。
また表具表裏ともにシミと虫食いがあります。
その他には問題はありません。

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タグ
産地・種類 萩焼
作家・窯元 坂倉新兵衛

詳細
状態
素材 紙本
萩焼(はぎやき)  山口県萩市。  萩焼は高麗焼とも呼ばれ、1604年に毛利輝元の招きで萩藩に召し抱えられた李勺光・李敬兄弟により高麗焼の技を用いて藩の御用焼として開窯されたもの。以来藩主の庇護のもと発展し多く愛好されるようになった。  独特の柔らかな風合いと変転極まりない窯変が特徴で、表面の細かなヒビから水分が浸透し、器の中から表面にまで至るため使いこむほどに器の色合いが徐々に変化する「萩の七化け」の面白さは他に類を見ない。  古来より茶人の間では「一楽 二萩 三唐津」と賞賛され広く珍重されている。

坂倉新兵衛 さかくらしんべえ  陶芸家。山口県萩市の萩焼窯元・板倉家の名跡。 板倉窯当主が代々「坂倉新兵衛」の名を継承している。 慶長の役(1592~98年)の頃に毛利輝元に招かれた朝鮮の陶工兄弟の兄・李勺光(り しゃくこう)を初代とする(弟の李敬は後の坂高麗左衛門)。六代目で坂倉姓に改名された。 ・二代 山村新兵衛光政(生年不詳~1658(明暦4))  初代の子。初代の弟子蔵崎五郎左衛門らが藩の許しを得て深川三之瀬に窯を築いた。 ・三代 山村平四郎光俊 (生年不詳~1709(宝永6))  二代の子。明暦三年(1657年)に深川三之瀬の窯に移る。藩の御用窯として「三之瀬焼物所」が創業され、これが深川窯(坂倉新兵衛・坂田泥華・田原陶兵衛・新庄助右衛門の萩焼の4つの窯元)の始まりといわれている。 ・四代 弥兵衛光信(生年不詳~1724(享保9)) ・五代 源次郎光長(生年不詳~1760(宝暦10)) ・六代 坂倉藤左衛門(生年不詳~1770(明和7))  板倉姓に改名。 ・七代 坂倉五郎右衛門(生年不詳~1792(寛政4)) ・八代 坂倉半平 (生年不詳~1822(文政5)) ・九代 坂倉平助 (生年不詳~1850(嘉永3)) ・十代 坂倉九郎右衛門 (生年不詳~1857(安政4)) ・十一代 坂倉新兵衛(生年不詳~1897(明治30)) ・十二代 坂倉新兵衛(1881〜1960) 十一代坂倉新兵衛の長男。幼名・平吉。明治30年に十二代を継承。31年から坂家九代・高麗左衛門(こうらいざえもん)の元で萩焼を学んだ。藩が廃止されてから衰退していた萩焼を復興し、萩焼中興の祖と呼ばれる。茶の湯との結びつきを強め、茶陶としての萩焼のイメージを確立した。 吉田松陰の兄・杉民治に師事して茶道を学び、後に茶陶としての技術を高める為に表千家十二代惺斎宗左に師事し、御好み道具制作の御下命を受けた。控えめで温和な茶の湯の場になじむ作品をつくった。 多数の受賞歴を持ち、1956年に山口県無形文化財に認定された。1960年死去、享年79歳。 ・十三代 坂倉新兵衛 (生年不詳〜1945)  十二代の長男。本名光太郎。戦死したため、十三代坂倉新兵衛の名を追贈された。 ・十四代 坂倉新兵衛宗治(1917〜1975) 十二代坂倉新兵衛の3男。本名・治平。 1934年に山口県立萩商業学校を卒業した後神戸市で就めていたが、1945年に長兄の戦死が確認されたため家業に入り父に師事した。1960年に父・十二代が他界した際に十四代を襲名した。日本現代陶芸展や日本伝統工芸展などに入選し、1972年山口県指定無形文化財保持者の認定を受け、1974年には山口県選奨(芸術文化功労)を受賞。 父の温和な作風に近代性を加えて、それまで萩焼ではあまり作られなかった物も多く作陶した。 1975年死去、享年58歳。 ・十五代 坂倉新兵衛(1949〜)  十四代の長男。本名・正治。1974年に東京芸術大学大学院陶芸専攻を卒業後、父の病のため帰郷。家業にはいるが、十四代は入退院を繰り返していたので、師事した期間は半年ほどだった。1978年に十四代が死去し、26歳で十五代坂倉新兵衛を襲名。 国内外で個展および出品を行い、多くの賞を受賞。2004年に山口県選奨受賞、2013年には県指定無形文化財に認定された。