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喜多川歌麿 難波屋おきた 手摺浮世絵木版画額装

喜多川歌麿 難波屋おきた 手摺浮世絵木版画額装
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商品番号:5868565
価格:  8,000円
(税込 8,800円)


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  喜多川歌麿 難波屋おきた 手摺浮世絵木版画額装
<商品説明>
サイズ名称 口径 高台径 高さ 長さ
全体       53.3 cm 41.5 cm  
本紙       38 cm 24.5 cm  
額にところどころスレ、当たりがあります。
また、マットに薄っすらシミがあります。
その他には問題はなく、まだまだ使用可能な状態です。

※検索一覧と詳細ページにおいて、色の見え方が異なることがございます。
お進み頂いた詳細ページの商品の色が、より実物に近い色でございます。予めご理解ください。
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作家・窯元 喜多川歌麿

詳細
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素材
喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)1753頃〜1806年  江戸時代中〜後期の浮世絵師・狂歌師。繊細な画線で様々な表情・姿の女性を描いた美人画の大家。喜多川派の祖。  姓は北川、のちに喜多川。幼名は市太郎、のちに勇助(または勇記)、名は信美。号は初め豊章、歌麻呂、哥麿。俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸と号する。  生年、出生地、出身地などは不明で、宝暦4年(1754年)生まれなど諸説がある。  鳥山石燕に師事し、役者絵や絵本を制作。初作は安永4年(1775年)に北川豊章の落款で描いた中村座の富本節正本『四十八手恋所訳』の表紙といわれる。天明8年から寛政初期にかけて狂歌に浮世絵を合わせた狂歌絵本『百千鳥』、『画本虫撰(えほんむしゑらみ)』などを著した。その後寛政2〜3年頃に描かれた「美人大首絵」では役者の大首絵を美人画に採用し、清新な作風は人気を博した。  肉筆画・春画にもすぐれたが、「八景浮世絵」など名所風景画にも名作がある。  歌麿の作品は遊女、花魁、茶屋の娘など無名の女性がモデルとなり、世をみだすものとして江戸幕府により度々制限を加えられたが、歌麿は判じ絵などで美人画を書き続けた。しかし文化元年(1804年)に豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした浮世絵「太閤五妻洛東遊観之図」を描いたことで将軍・徳川家斉を揶揄する意図があったと見なされて幕府に捕まり手鎖50日の処分を受ける。その二年後の文化3年(1806年)に死去。享年54とされる。墓所は世田谷区烏山の専光寺。法名、秋円了教信士。  開国後、歌麿の作品の多くが国外に流出した。ボストン美術館には歌麿の浮世絵383点が所蔵されている。  代表作は「寛政三美人」「たのしきまとひ」「婦人相学十躰・ビードロ(ぽっぴん)を吹く娘」等